2024年5月7日、ぼくは31になりました。
ネモフィラの咲く一季節に、ぼくは生れてきたのです。
10代で、ぼくは「詩人になって、二十歳で死ぬ」と星空と約束をし、それを破棄しました。そのせつなにラディゲはぼくよりも年下になり、漠然とした「俺はロックだから27なでしか生きられないだろう」という自己愛は裏切られ、ついにもっとも愛する中原中也の死んだ年齢を超えてしまいました。
誕生日にいうのもなんですが、ぼくは、死にたいです。
しかも、死にたいほどの淋しさを守護し、磨いていくというふしぎな生き方をしています。一種の下降欲求です。
淋しさに裂けそうになる死にたい夜を「生き、切る」と結い直してくれたのは、いつもいつも、それは詩でした。
中原中也、萩原朔太郎、かれ等は、中学のぼくを自殺の危機から救ってくれた詩人であり、ぼくはもう15年はかれ等の詩を愛読しているのです。
孤独に喘ぐ幾夜をやりすごすための、催眠剤。
死にたい夜から、生きたい苦しみというめざめへ飛ばすための、劇薬。
ぼくは、そういう詩を書こうとしています。
「淋しいときは、星空文庫まで飛んでいって、青津亮の詩を読みに行くの」なんて読者が、いつかできるといいな。
そんなことを改めて想った、誕生日でした。