清楚は無疵を云うんじゃない

なによりもまず詩人でありたい、だれよりも無名として書きたい。

エミリ・ディキンソンの拙訳を綺麗な画像にしてみた

 無名の歌、というタイトルです。

 本の形にしたい欲求はありません。
 ですが印刷してホッチキスでとめて、その上に青いビニールテープを付けて、いつか福岡の文学フリマで0円で売りたいです。

 自分を低くしたいので、信念として0円でしか売りません。
 今年は体調で無理だな。

 これね、じつは印刷できる解像度にしてるんだ。だからこのページすごい重いと思う。
 印刷してくれるひといたらうれしいな。著作権とかは放棄します。

 


 入院がんばってきます。

だいすきなピアニスト、ゴンザレスの曲を紹介します


 ピアノ曲が好きです。

 幼少期から父親がベエトーヴェンやショパンを大音量で聴いていたので、クラシック好きに育ったのですが、小学校一年生くらいからこのふたりのピアノソナタを聴いていました。
 ちなみにこの頃から精神疾患発病の17歳まで、音の粒が脳裏で光にみえて、なにも意識しなくても光のダンスに感じるという共感覚がありました。ぼくはかのような風景が懐かしく、でも、いつかその心象状態へ還りつけるような気がしています。
 ぼくが詩を「光と音楽の共同舞踊(舞踏)」だと幾度も書くのは、この経験によるものでもあります。

 クラシックで好きなピアノ曲は、やはりショパン、リストにくわえて、エリックサティやドビュッシーです。ピアノ好きな方によくこのまれますよね。
 ジャズだと、ビル・エヴァンスキース・ジャレット

 このひとたちの曲や雰囲気が好きな方はきっと好き、アンニュイな暗み、憂鬱なロマンティシズム、雨音のような短調、現代のピアニストのゴンザレスという音楽家をご紹介します。
 「ソロピアノ」というアルバムです。

 



 公式アカウントによる動画です。

 前述のアーティストが好きな方、ぼくの感性が好きな方はぜひ聴いてみてください!(ぼくの感性が好きな方は聴いてってめっちゃ書くの恥ずかしい!)

 ボオドレールやサガンなんかの仏蘭西的アンニュイさもありません?

誕生日 ぼくは誰かの死にたい夜をやりすごすための詩が書きたい

 2024年5月7日、ぼくは31になりました。
 ネモフィラの咲く一季節に、ぼくは生れてきたのです。

 10代で、ぼくは「詩人になって、二十歳で死ぬ」と星空と約束をし、それを破棄しました。そのせつなにラディゲはぼくよりも年下になり、漠然とした「俺はロックだから27なでしか生きられないだろう」という自己愛は裏切られ、ついにもっとも愛する中原中也の死んだ年齢を超えてしまいました。

 誕生日にいうのもなんですが、ぼくは、死にたいです。
 しかも、死にたいほどの淋しさを守護し、磨いていくというふしぎな生き方をしています。一種の下降欲求です。
 淋しさに裂けそうになる死にたい夜を「生き、切る」と結い直してくれたのは、いつもいつも、それは詩でした。
 中原中也萩原朔太郎、かれ等は、中学のぼくを自殺の危機から救ってくれた詩人であり、ぼくはもう15年はかれ等の詩を愛読しているのです。

 孤独に喘ぐ幾夜をやりすごすための、催眠剤
 死にたい夜から、生きたい苦しみというめざめへ飛ばすための、劇薬。
 ぼくは、そういう詩を書こうとしています。

 「淋しいときは、星空文庫まで飛んでいって、青津亮の詩を読みに行くの」なんて読者が、いつかできるといいな。

 そんなことを改めて想った、誕生日でした。

初めて中原中也記念館に行きました

 小5から中原中也が好きです。ほんとうにぼくを文学の沼に引きずりおろしたのはほかでもない中也、罪な男なことです...(長谷川泰子を沼らせることはできなかったが)。

 3月に、中原中也記念館に行ってきたんです。
 しかも初!

 福岡から山口なんでそんなに遠くはないんですけど、つねにお金ないし、方向音痴レベル宇宙級(帰りはしっかり2時間以上迷いました)、公共交通機関を利用するスペックが脳内システムにくみこまれていないので(乗り間違えまくる、本読んでたら気付くと駅過ぎてる)、怖がっていままで行かなかったのです。

 日帰りでしたが、実は一人旅行の初めてでもあります!基本夜以外家から出たくないので!

 今回のブログは、遠くてなかなかいけない方にも中原中也記念館への旅行気分を味わってほしいので、写真を順番にみせますね~。


   ──中原中也記念館初来館の一日♪──

 朝!...起きない。昼前に起きて、躁か鬱かふつうかを判断。一応、安定剤を飲んで準備しました。
 最近はスポーツウェアにはまっているので、上はこれ。

XLでダボダボに着ている

 

 セカンドストリートでスポーツウェアを探すときは、ファッションコーナーなんかに行ってはいけません!そこはそれなりに最近のナイキやアディダスのファッショナブルなやつが、5千円とかの高額で売られています!
 ただのブランドセレクトの視点でピックアップしてるので、高いです!

 おすすめは、ボールやハイキング用品なんかが打ってあるスポーツ用品コーナー~
 90sのリーボックくらいなら平気でこっちのほうが見付かるし、たとえばこれは900円でした。500円とかで、デザインかわいいやつも売ってますよ。

 グレーのリーバイスシルバータブのルーズを高めに一回ロールアップし、しゅっとしたヒールブーツを履いて(歩き回ってたら足に激痛、帰りは変な歩き方になったので、旅行の時にヒールブーツはやめようね)、レイダースのでっかいバッグをしょって出陣!
 その日、ぼくはストリートキッズ(30歳)でした。

 家の最寄り駅で電車を待っているときもわくわく。
 携えた本は「中原中也詩集」太宰治の「斜陽」坂口安吾「風と光と二十の私と・いずこへ」、中也訳の「ランボオ詩集」、すべて岩波文庫です。中原中也好きそうすぎるよね???

 電車でまず小倉駅まで行きました。ぼくは電車では「席を譲る」のも嫌いだし「席を譲らない」は道徳的にダメな行為だと思っているので、よっぽど空いていないと座りません。立って中也を読んだり、いつもとちがう風景を窓から眺めたり...。

 小倉駅から下関駅に行くために乗り換えをし、下関駅では憧れの途中下車。旅行気分でした!(公共交通機関の逆天才がここまでミスなしだったの褒めてください)

 下関で途中下車した理由は、港町が好きだから。港で座って足をぶらぶらさせながら、中也を読む幸福。また見つけた!なにがだ?幸福。

 

なんの詩かわからないくらい白ぼけしている

 港の景色はこんな感じ。

綺麗

 

そして机が汚い


 下関から新山口駅へ。
 これが長くて、2時間かかりました。行きはドキドキで「斜陽」を読んでいました。帰りは寝ていました。

 新山口駅を降り、小型の電車に乗り、たどり着いたのが...

おまえだ!

湯田温泉駅ではこんなパネルが。ちいさい中也を指で潰そうとするぼく

湯田温泉駅近くにはキツネのおっきな像があります

 もう中原中也に会えそうですね!
 まずメモした地図通りに行くと迷子になって、慌てて駅まで戻りました。もうすこしで駅に戻ることすらできなかったです。
 つぎに駅前の地図を頭に叩き込み、ふたたび迷子。優しい女性に道を教えてもらえ、ドキドキしながら歩いていくと....

ここが中原中也記念館だ!!!

 こぢんまりとして、白い瀟洒な建物です。中也も好みそうですね。元々、中原家の実家があったところだそうです。

 足を踏み入れる瞬間のお写真。

推しに会えるぎゃああああ


 中の写真は撮らなかったです。
 記念館では、まず素敵な受付の女性が優しく案内してくれます。高齢者の方は無料なので、湯田温泉に観光で来た老人の方々が多かったですね。一組、女子大生かな?みたいな方がいて、あとは老人の方々だけでした。

 記念館には直筆の原稿があり、そのたびにぼくは涙を出してしまいました。中也の息遣い、呼吸音、筆致、くるしみ、そんなものを想像しました。
 ぼくは中原中也が生きていたという当然の事実に、茫然とする思いでした。
 中也は、やはり、努力家でした。詩人であるという宿命を引き受け、それに付随する苦しみを責任をもって苦しみ、そのほかを台無しにしちまいました(とくに人間関係)。中也は、そんな中也は、生きていました。

 ああおまえは何をしてきたのかと、吹き来る風が私にいう

 
「帰郷」というかれの詩です。

 記念館にはパソコンと中也関連の書物がたくさんある部屋があり、週5ここで過ごしたいと思いました。
 当時の雑誌等もたくさんあり、愛読者にはたまらない場所でした。

 お土産は迷っていましたが、直筆に惹かれて、直筆プリントマグネットと帽子を被った有名な写真のポストカードにしました!

指輪もかわいい


 記念館から駅までは2時間以上迷い、帰りは夜遅くなって、小倉で海鮮丼を食べました。このへんに旅行に来たなら海鮮食べたいよね。

 家に帰って足を見ると血が出ていました!歩き回る日にヒールブーツはダメです!

 とっても楽しい一日でした。また絶対行きます!
 中原中也記念館の存在のありのままをありがとうです。

推し美術館にふたたび訪れました

 福岡市美術館というところは、大濠公園という、湖のあるおおきな公園のなかにあります。

 ぼくは中原中也の詩によって、湖へのつよい愛着をもってしまいましたが、中也の詩編にえがかれているような仄かな暗みのある自然の風景とちがい、洗練された公園から眺める湖の周囲は都会的です。それもまたよし。(携帯電話がないので写真がない)

 福岡市美術館の入り口付近には、ぼくの好きなネモフィラが咲いていました。季節ですもんね。ぼくは春生れなので春がキライなのですが、ネモフィラの咲く5月に生れたことはいくぶんぼくに誕生日への愛着を与えています。
 ネモフィラはとても綺麗でした。夕暮にあんなにも沈鬱にみえる神秘の青は、朝陽の下ではきよらかな爽やかさをもってふわりと控えめに美を薫らせるようです。ネモフィラの美しさは香水でたとえるとオー・デ・コロン。
 あまりつよくなく、曳くように薫ればすっと糸を引くように掻き消えるような果敢なさがあるよう。しかしその後歩きはじめてふとしたときに、心象でかの風景が掲示されるような、また見に行ってしまうような美しさです。そうじゃありませんか?(わああああ写真撮りたかったよー!!!)

 大濠公園では湖を眺めながら、喫煙所でぼーっと喫煙、かわいい鳥たちににっこり。そして散歩中のわんちゃんを観察。動物だいすき~。
 とくに、哺乳類はほんとうに愛らしいですね。ここメモしてくださいね、哺乳類でいちばん愚かなのは、人間です(そして坂口安吾のいうとおり、切なくて美しいのも、人間にとってはやっぱり人間なんだよ)。

 推し美術館では、恒例の常設展示のみ鑑賞。
 特別展示には見向きもしませんでした。でもかっこいい都会的なイラストのポスターでしたね。
 今回は、前回ご紹介した川口規外の絵画ではなく、カプーアの「虚ろなる母」をご紹介いたします。

www.fukuoka-art-museum.jp
 虚無と母の結びつきは、ぼくの詩の主題と親和性がありそうです。絶対的な母は虚しく、吸われるように美しい沈鬱な青をしている。
 しかしぼくにとり虚無の母というものは生命を撥ねかえします。それは無機的であり、爬虫類の眸のような硬質な石です。それは天空です。天空とは硝子盤であり、硝子盤とは天空であり、これは両極端な世界であり、そしてぼくにとり双頭の神なのです。

slib.net


 帰りに、ずっと迷っていた美しいブルーの砂時計を買いました。福岡市美術館限定のデザインです。砂時計なんて必要ないので無駄遣いかと思い迷っていましたが、いつか売り切れるものだろうから...。ブログで買い物の話をすると、大好きな奥歯さんを意識しちゃいますね。

危険な愛読書に、よく似合う色彩です。

 

 話変わりますが、髪切っちゃいました。衝動的でした。
 70sのふわふわミディアム is dead...
 いまはいまで気に入っています。前から見たら銀行員みたいな真面目なセンター分けで、横から見たらがっつりブロック入れていて、ギャップが好き。3ミリの刈り上げを守るためにバリカンを買い、週1で刈り上げています。


 ふわふわミディアムより、グランジやストリートのファッションには合いますね。でもたぶんもとに戻します。

 あ!あと、勢いで美術館でガチャガチャしちゃったんですよ!何年ぶりかな、ガチャガチャ。
 パブロ・ピカソの絵画の缶バッチのガチャガチャで、落書きっぽいのだと服につけられていいかな~と思いやってみると、素敵な缶バッチがころり♪(全部素敵だったんですけどね)。

お気に入りのネルシャツにつけて、グランジ&パンク&ピカソ


 優しい顔をしています。
 理論を突き抜けた、天衣無縫。
 合理によって合理を砕いた不合理は、素朴素直な優しい顔をしているとぼくは信じています。人間の素朴なこころは優しい歌をうたうのだと、そう信じています。
 "primitive"とは、天衣無縫とかさなる織物です。ぼくは、其処まで、還りたい。

 幼少期に、ふしぎな優しい物語を読んだ時の、かのとくべつな感情をお憶えでしょうか。あたかもひとの善にもたれかかるように優しい心を信じる甘えと、神秘への尊敬が、番うような心のうごき。かのような感情は、やはり、喪失してしまいます。
 パブロ・ピカソは急進的な芸術家でもありますが、その領域に魂を置きつづけ、時代と現実の波に抵抗するように、佇んでもいたんだとおもいます。三島由紀夫金閣寺にある、金閣寺の頂点の鷲の彫刻のように。
 それは、もしや、無垢への意志です。

ぼくの十三年間の詩生活はバッハの一呼吸にくずおれる

 絶対的に到達しえない領域の音楽が、一呼吸でためいきされる。ぼくはなにを書いていたんだろう。一呼吸で歌いえる光をえがきたくて、虚栄と自意識の肉べったりと張った歪な歌をうたっている。




 自分のプレイリスト。
 

open.spotify.com


 わたしを赦さないで、
 わたしのことを是認しないで──絶対に。

美術館中毒

 最近は美術館ばかり行っています。
 週に三回とか行っていて、三日空くと「行きたい行きたい!」となり殆ど中毒状態です。
 というと「すごく美術マニアで、じっくり鑑賞しているんだろうな」と思われるかもしれませんが、そうでもありません。観覧の時間は30分くらいで、好きな絵の前に10分程度、あとは数秒で見終わってすいすい歩きます。美術への追究心もあまりなく、美術評論を読むほうがたのしい生粋の言葉愛好家だと自分で思っています。
 好きな絵を好きな時に見たいな~って感じ。

 推し美術館は福岡市美術館
 ぼくは福岡県在住で、遠出がめんどうだし方向音痴レベル宇宙級なので、近くにしか基本行きません。旅行の時についでにくらい。
 福岡市美術館は「樹間と鳥」という深紅の絵画がとても好き。この風景へ還りたいとつよく想います。神秘的な童話を子供の時に読んだ際の独特な陶酔をこの絵画はぼくにくれるのです。

 福岡市美術館のサイトに載っています。画家の名前は「川口規外」。

https://www.fukuoka-art-museum.jp/archives/modern_arts/22?title=&name=%E5%B7%9D%E5%8F%A3%E3%80%80%E8%BB%8C%E5%A4%96&year=&kokumei=%E6%97%A5%E6%9C%AC&genre=&collection=


 最近そういえば赤がすごくすごく好きです。
 赤津亮になります(嘘)。
 昨日は福岡アジア博物館に行ったのですが(二日連続で行った)、帰りに千円で安かったのでレンガ色のかわいいジャージを買いました。
 最近1000~2000円くらいでスポーツウェアめっちゃ買ってます。

 

韓国のラーメンをもったぼく


 

 好きな画家はフランシス・べイコンで、このひとにはそこそこ興味があり、評伝とインタビューを大金払って買いました。5000円ずつくらい、両方で一万円...。勝った直後にちくま文庫で1000円くらいで出たときはショックでした。
 あとはモロー、ムンクエゴン・シーレクリムト、ルドン、平野遼、鴨井玲、あとなんかいっぱいいますけど、名前を忘れやすいです。

 坂本健の絵画を所有しています。
 「ボーラーハットをかぶった黒マントの詩人が月の下にいる絵」というのを注文して、届いた絵画はびっくりするくらい好み。SNSで宣伝しはじめた初期に一目惚れして、めっちゃリツイートしまくってたのを理由に、安くしてくれました。
 見たい方いるかな? ぼくは携帯をもっていないので、写真を撮るときに借りなきゃいけないからぱっと撮れないのだ...。

 でも、芸術っているのはぼくの美術に対する距離感くらいがきがるでとっても楽しいのかもしれません。
 最近博物館で学芸員をやっている友人と、「有名な画家じゃなくても、そのひとにとって刺さる絵画を一生懸命働いたお金で買って、画家が有名になって自慢の種になるとか価格が上がるかとか気にせずに一生大切にしていけたら、それはすごく素敵な芸術への愛だよね」という話で盛り上がりました。
 ぼくの詩や小説も、だれかにとってのそんな存在になりたいな。